お金とはなんなのか?をもやもやと考察する
最近よく、「お金とはなんなのか?」と考えることがあります。
もやもやっとした感じなので、結論をバシッと決めてしまおうという意気込みの記事ではありませんが、同じように思う方もきっと多いはず、とも思えたので、思うがままに書いてみたいと思います。
気が付けば7年間株を塩漬けしていた
「お金は使わないし、貯金とは別の資産運用を経験してみたい。そして楽して儲けたい」
そんな気持ちで私は7年前に株に手を出しました。
私みたいな気持ちで始めた人も多いんじゃないでしょうか。
あの頃の日本株はもう強すぎで、堅調に持ち株も上昇をし続けていました。
しかし、まもなくやってきました。
リーマンショックです。
地獄の始まりです。
ここから私はしばらく株価を見るのをやめました。
見ているとメンタルがやられそうなので、遠ざけました。
株は向いてないと感じた瞬間です。
そしてここから何年も、一向に株価は上昇する傾向になりませんでした。
上昇気流に乗り始めたのは皆さんご存じのとおり、アベノミクスがはじまってからでした。
気が付けば7年間、株を塩漬けしていました。
リアルなバーチャルマネー
7年が経ち、一時期は全てがどん底だった私の持ち株も、気が付けば回復していました。
メガバンクやバイオ株など、まだだいぶマイナス圏にあるものもいくつかありますが、IT関連株など、爆発的に上がりまくったものもあるため、トータルでは多少プラスになりました。
なんというか、運が良かったとしか思えません。
素人がこのまま持ち続けていても仕方ないので、ここで潔く全て売り払って引退しようと決意しました。
売った後、数百万程度のお金が振り込まれました。
ここで自分の予想外の感情に気が付きます。
「よかった」とか「嬉しい」とか、そういった感情は全く湧いてきませんでした。
7年も株をやってて、何の喜びも感じられない自分がそこにいました。
目の前にあるのは、常に数字だけでした。
ずっと数字を追い続けていたことに気付きます。
今回振り込まれて金額も、数字でしかありません。
しかしそれはリアルなお金なんです。
リアルではあるが、バーチャルにさえ見えてしまいそうなその数字は、近年大流行のソーシャルゲーム内の通貨に、もしかしたら近いのかもしれません。
そんなことを思うと、株にはもう二度と近づいてはいけないだとも思えました。
やはり私には向いていない。専業以外でうまくやっている人を尊敬します。
日々の生活との乖離
株で数百万のお金が入っても、入らなくても、私の私生活は非常にちっぽけなものです。
限りなく制御できる物欲のせいで、買いたいものも全然買わないし、クーポンを使って得することに喜びを感じるし、経済を回していないことに罪悪感すら感じることもあります。
私は、自他共に認めるケチ人間で、ちっぽけな人間です。
今回もいつも通り、貯金しているだけで何も買っていません。
ルンバがずっと欲しいと思っているのに、何年も我慢し続けています。
買っても何も影響がないというのに、ここまでくると、病気かもしれないとも思えてしまいます。
なんというか、数値上でしか見えないお金と、実際手にしているお金とでは、それは同じお金として認識していないのかもしれません。
例えば、毎月勝手に引き落とされていく年金も、保険も、家賃も、光熱費も、全て勝手に口座から引き算されていくものですが、これらは生活していくにあたって引かれるしかない仕方のないものという前提意識のもとで、お金を支払っているという自覚が薄い部類に入っているものなのかもしれません。
そして最近気づいたこととしては、株でぼーっとして入ってきた数百万よりも、何かしら自分で動いて得た数十万の方が、格段に嬉しいということ。
なんなんでしょうねこの心理は。
しかも今回は、数百万といえど、たかが数百万です。働けば得ることのできる金額です。
こんな金額のために、放置し続けていたとはいえ、7年間、要所要所で一喜一憂していた自分がばかばかしく思えて、みじめに感じたんだと思います。
これがもし億の単位だとしたら、きっと違っていたんでしょう。
働いて稼いだお金は手に入ったとき嬉しいし、最大のショートカットでもある。
言ってしまえばこんな単純なことだったんです。
ではなぜお金を貯めるのか
前述のとおり、私はお金をなかなか使いません。
ではなぜお金を貯めるのか。
答えは一つしか出てきませんでした。
現状の生活をずっと維持できるようにするためです。
非常にシンプルなものですね。
貯金額を見ながらたまに思うのは、自分がこの貯金額であとどれくらい今の生活を維持できるものなのかということ。
余生を変わりなく過ごすために、お金を貯め続けているのです。
これは皆考えることなんでしょうか。
私はたまにこれを考え、照らし合わせた上で、今どれくらい自由に日々を送っていいのかを決めている気がします。
今をもっと楽しめよって言われるかもしれませんが、どうしても長生きしてしまった時のことを考えてしまいます。
現在34歳ですが、たぶんこれは株をやり始めた27の頃も同じような考えがあったはずです。
こういう人がろくに人生も楽しめず、死んでいくのでしょうか。
お金持ちになってかっこいいタワーマンションの最上階に住みたいだとか、そういう願望は一切出てきません。
普通のマンションで普通に暮らせれば、それだけで十分。生活水準はずっとこのままでいい。
インターネットができればいい。スマホがあればいい。一緒に人生楽しめる人がいればいい。たまにおいしいものが食べれれば嬉しいし、普段は毎日半額弁当でも問題ない。
ただ、これって、最大の贅沢なんだろうなとも思えます。
普通ってなかなか維持できないものです。
まだまだ色々考えることはありますが、とりあえず「普通に生きることは最大の贅沢だ」というもやもやした締め方でこの記事を終わらせておきたいと思います。
最後の最後まで書いたところで、「自分はなんてつまらない人間なんだ」とものすごい勢いで感じてしまい、この記事は永久にゴミ箱に入れておこうかとも思ったのですが、これが今現在の自分のリアルであり、そういったリアルな部分はインターネットに公開する価値ももしかすると少しはあるかもしれないなと思えてきたので、一晩おいたところで公開ボタンを押したいと思います。
それは後悔ボタンかもしれませんし、インターネットにとってゴミにも値しないものかもしれませんが、生暖かく見守っていただければ幸いです。
また機会があればもやもや考察したいと思います。